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【アラベスク】  第14章 kiss



第2節 本気の証 [3]




 激しい金属音。壊れたのではないかと視線で追うのに隙が出来た。
 避けようもなかった。あっという間にソファーに押し座らされる。
「瑠駆真ならいいのかよ?」
 答える前に唇が重なった。前歯が直接ぶつかり、歯茎に鈍痛が響く。あまりの展開に瞠目するだけで対応できない。逃げる事も、抵抗する事もできない。
 初雪が、いつの間にか止んでいる。この冬初めての雪は、積もるでもなく、ただ薄っすらとアスファルトに降りかかり、やがて解け、それを車が泥水として跳ね上げる。
 空から舞い降りる時は、無垢な色だったのに。
 ドンヨリと重い雪雲。陽の入らない南の部屋。聡は左の膝をソファーに乗せ、相手の両頬を両手で押さえる。美鶴はペタンと腰を下ろしている。
 ちょっと、私。
 混乱する頭に徐々に浸透してくるのは、息苦しさ。頭よりも、身体が異常を察知する。
 涙が滲む。危険を悟る。ようやく両手足をバタつかせて抵抗を試みる。だが、時すでに遅し。
 艶を帯びた息遣いが、重苦しさと共に美鶴を包む。
「そんな細い身体で暴れるな。無駄だ」
 必死に首を振っても、聡には何の効果も無い。逆に身体が傾き、背が背凭れを滑ってソファーに押し倒される。その上に、大きな身体が圧し掛かる。
 苦しい。
 闇雲に振り回す左手を鷲掴むと、これ見よがしに美鶴の頭上に押し付ける。
「俺に敵うと思ってんのかよ?」
 濡れた唇が動くたびに美鶴の頬を掠める。
「お前、昔からそういうところ、馬鹿だったよな」
「馬鹿って」
「絶対敵わないような相手にまで喧嘩売ってさ」
 里奈(りな)を苛める奴は許さない。そんな大義名分をひっさげて、あっちこっちでトラブルを起こしていた。
「無駄に暴れてればどうにかなるとでも思ってる?」
 再び聡の唇が重なる。
 どうにかなるとでも思ってる? できるものならやってみな。
 そう挑発されているかのようで、美鶴はカッと頭に血が上った。なんとか自由の利く右手を振り回す。拳で叩き、指を立て、聡の背中を滑らせた。
 何かがひっかかった。
 それはスルリと中指に絡められ、いとも簡単に外れて、背中を滑る。そうして床のどこかへ飛ばされた。同時に、首元で結われていた長髪が広がる。
 サラリと聡の項を滑り、首元に落ちて、毛先が揺れる。ずいぶんと長くなった。触れ合う美鶴の頬にもかかる。
「痛い」
 唸るような低い声と共に、今度は右手も鷲掴む。
 正直、痛くはなかった。背中に立てられた美鶴の指など、痒くもなかった。だが聡は眉を潜めた。
「痛い」
 怒りをぶつけるかのように右手も頭上に押し付ける。
「いてぇじゃねぇか」
 何が痛いのか。
「何しやがる」
「それはこっちの台詞」
 反論しようとする唇を奪う。逃れようとする顔を両手の肘で挟む。
「や、めろ、聡」
「瑠駆真なら、いいのか?」
「だから、それはちがっ」
「瑠駆真とは、抱き合ってたよな?」
「違う、それは瑠駆、真が勝手に」
「でも、背中に爪なんて、立ててるようには見えねぇぜ」
「だからそれは、話を聞けっ」
「俺にこうされるのは嫌なのか?」
 乱れる息を美鶴の頬に吐きかけながら、聡は瞳を覗く。
「美鶴、俺はお前が好きなんだ」
 ギュッと、美鶴の胸を締め付ける。
「この期に及んで嘘だなんて、言わないよな?」
 初めて言われたのは、転入して間もない四月だった。聡に好きだと言われ、だが美鶴は認めなかった。

「ウソだ……」

 美鶴は否定した。

「ウソだ… 私の事が好きだなんて… アンタも、アンタも私をからかうつもり?」

 そんな言葉で突き返した。
「ひょっとして、今でもまだ、認めないつもり?」
 答えられない。嘘だと言って突き返す事が、今の美鶴にはできない。
「少しは、わかってくれてる?」
 それでも答えない美鶴に、聡は畳み掛ける。
「どうして、答えてくれない?」
「え?」
「俺の気持ちわかってて、どうして答えてくれない?」
 答える。それは―――
「俺の事が嫌いだから?」
「え?」
「俺の事、嫌いか?」
「き」
 嫌いではない。
「嫌いなのか?」
「き、き…」
 嫌いではない。だが、嫌いではないと言うと、まるで好きだと言ってしまうかのような気がして、答える事ができない。
 嫌いではないからといって、好きだとは限らない。だが、嫌いではないという言葉が、相手に無駄な期待を抱かせてしまうような気がして、その期待が好きという言葉を連想させてしまうような気がして、美鶴には言えない。
 言えない。だって自分は聡の事が好きなワケではない。自分が好きなのは、霞流慎二だ。
 ツバサの言葉が響く。

「好きな人がいるって、ちゃんと金本(かねもと)くん達には言った方がいいよ」

 言わなければいけない。聡や瑠駆真には言わなければいけない。わかっている。それはもうずっと前からわかっていた。なのに、美鶴は言えないでいる。
 昨夜瑠駆真に抱きしめられた時も、今こうして聡に押し倒されていながら、それでも言う事ができない。
 怖いのか。
 自分に好きな人がいると知られて、それを嗤われるのが怖いのか。
 自分の恋は、実るとは限らない。むしろ玉砕する確立の方が高い。再び失恋した時、周囲はまた私を嗤うだろうか?
 馬鹿な女だ。身の程知らずが。
 澤村優輝に振られた時、聡はこう言った。

「仕方ねーじゃん」

 抑えきれない嫉妬を込めた、聡がずっと悔やんできた一言。だが、聡が込めてしまった嫉妬は、美鶴には侮蔑と伝わった。
 馬鹿にされた。
 くだらない男になんか惚れるからだ。
 そう蔑まされたような気がした。
 聡は霞流に対して、良い感情は抱いていない。気障りな奴だと(けな)している。
 好きだと言って、そうして霞流さんに振られたら、そうしたら聡はまた私を馬鹿にするのだろうか?
 言えない。霞流さんの事が好きだなどとは言えない。







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